⚠️コロナ自粛と「要請」は密着可能❓ 🌀補償と保障の継続保証🌀

これをご覧くださっているみなさま、お元気でいらっしゃいますか。
新型コロナウィルス (SARS-CoV-2) の感染拡大で何かと不便なことばかりでございます。
突然の休校要請や緊急事態宣言と、次々と文言が飛び出してくる毎日です。
「自粛を要請する」という言葉を耳にしたとき、私は脳がよじれそうになりました。
もともとよじれている脳が、さらに屈折したような感じに陥りました。

「自粛」とは、「自分から進んで、行動や態度を慎むこと」と考えられます。
「要請」とは、「相手に願い出て、求めること」ですね。
このふたつの言葉を「密着」させることに矛盾が生じていると思います。
バグっているのです。
ところがこの不自然な「密着ことば」には「意味」があるのだと、気づきました。

ここにメッセージが隠されているのです。
それは、「みずからの意思で行動変容を行うこと」を「願っている」もので、その行動に対しての「ホショウを提供しない/求めない」ことが横たわっているのです。私の耳には『自己責任で新型コロナウィルスと闘ってほしい』ときこえました。
すでに「補償・保障なし」宣言として発出されているのではないでしょうか。
「自宅待機を要請する」となると、これには具体的な補償の概念が付加されますから逃げ道がありません。
つまり「自粛を要請」は「自粛を忖度せよ」というニュアンスに置き換えることができます。

舞台関係者や芸能者は、もとより「保証のない世界」でしのぎを削ってきました。
そこに損失が発生すると、これは立ち直れない環境が待っているのです。戻ってこない公演会場の使用料の場合は、消費税も含めて返還されません。(消費をしてもいないのに⁉️)


まず「損失補償」が必要でしょう。同時に健康と生命維持のための「生活保障」が不可欠です。そして感染拡大が収束方向から終息となる時まで「補償と保障」の継続が保証されねばなりません。この「3つのホショウ」こそが「コロナミクス」です。

これは金銭の問題だけではなく、政府が藝術・芸能・文化をどのように捉えているかが問われているのです。
「自粛要請」を国民に訴える政府が、国民の生命を護る立場にあるのかどうか、くっきり浮かんでくるのです。
補償、保障、継続の保証を…急がねばなりませぬ。「自宅待機」と「補償と保障の継続保証」は一対密着❣️✏️(2020.4.11)