歴史をめくるフメクリスト

十代のある時から、私は演奏以外のステージ生活が慌ただしくなった。学校生活と演奏活動だけでも時間はいくらあっても足りなかったが、「もうひとつのステージ生活」がスタートした。

私に巡ってきたのは、ページ・ターナーの依頼だった。日本語にすると譜めくりさんだ。鍵盤楽器(ピアノやチェンバロ)が合奏する際、両手をすきまなく使用している部分は自身で楽譜を捲れないので、演奏者にかわってめくる作業だ。
こちらは能楽の後見方のように代役の任はないので、私は気軽に引き受けた。フメクリストである。

コンサートのフライヤーや当日配布されるプログラムに、フメクリストの氏名が記載されることはない。拍手が渦巻くステージ上で礼をすることもなく、主役のあとからステージに登場し、最後に退場する。笑顔を振りまく必要はない。いかにも存在がなかったかのように振る舞う。

仕事の段取りはいたって簡単なのだが、精密さを必要とする。鍵盤奏者の左後方に椅子を設置し、そこに座る。指定席だ。演奏が始まったら楽譜から目を離さず、右のページの最後の段あたりで立ち上がり、最後の小節でスルリとページをめくる。ただこれだけの作業だ。動作は単純で体力は最小限に留められる。ただし、居眠りは厳禁、背もたれにもたれかかってのリラックスモードは控えめにせねばならないだろう。途中でトイレに立ち上がることはできないし、あくびや咳込みもむつかしい。スマホを触ることはできない。

時に、ステージ照明を真正面からあびることもあるので、リハーサル時に要チェック。

黙々と紙をめくるのが業務内容だが、クラシック音楽はリピートという繰り返し部分がしばしばあるので、どこに戻るのかあるいは戻らないのかを、事前に奏者から聴き取り、記憶に叩き込んでおく必要がある。ついつい音楽に酔っていると、楽譜の現在地を見失う。失敗すると演奏者に多大な迷惑をかけることになるので、実はとても重要で研ぎ澄まされた仕事なのだ。

あくまでも黒子なので、私は黒服で数多くのステージに登場した。それらはおもに、来日するアーティストがリサイタルや室内楽コンサートを行う、ツアーの一環だった。

たいていの場合、当日の会場リハーサル(ゲネラル・プローベ)からお付き合いする。ところが、海外からのアーティストは、アンサンブルのお相手を(予算の都合で)現地調達し、(これまた予算の都合で)ツアー開始直前にバタバタと来日し、日本にいる演奏者とアンサンブルを組んだりする。
このようなケースに遭遇すると、アンサンブルの意思疎通が調わないリハーサルに立ち会うこともしばしばあった。限られた時間の中で、様々な言語が同時に飛び交うのも愉快だった。

自身の持参した楽譜を共演者(ピアニストなど)に差し出し、「今回はこれでお願い!」と要請するアーティストも少なくなかった。その楽譜には、自身の表現やニュアンスが書き込まれている。つまり、用意された「自己主張版」楽譜である。かみ合わない言葉でやりとりするよりも、楽語や記号の「共通語」で示す方が意思疎通が速やかなのも事実だ。しかし、解釈についての対話や心の交流を最初から求めない即席手段には、思わず目と心を閉じてしまいたくなる。

それらの楽譜には、それまでに同じ楽譜を使用し(させられ)た過去の共演者たちによる書き込みがしばしばギッシリ詰まっている。そこにくり拡げられる多様な言語、筆圧、文字の大きさ、色彩はみていて飽きない。さまざまなペンの跡があり、限られた時間で仕上ねばならない焦り、苛立ち…時には怒りまでもが起ち上がっている。

フメクリスト=譜めくりさんへの指示が書き込まれた楽譜にも遭遇した。「このページは見落とさないように」「すばやくめくれ」「ここは合図してからめくって」「ページの最後の音までみせろ」「静かにめくれ」「楽章間は自分でめくるよ」「不安だからここは早めに立ち上がっておくれ」「この静かなところで座るな」「リピートあるよ」「おつかれさん(^o^)」など、誰が誰のために書き込んだのかわからない文字群と向き合う。絵で示された指示は受け止めやすかった。それぞれ人間模様が浮かび上がる。

さてここで、「私家版」としてフメクリストの在り方を記してみよう。もしかしたら、世界初の「譜めくり指南」になるかもしれない。
譜めくりはただ紙(楽譜)を捲るという単純作業ではない。藝術創造の一端を担い、ミスがあってはならない労働である。方針は安全第一。楽譜には、作曲者が記し刻を培ってきた人類の歴史が宿っている。

作品のテンポ感や雰囲気とかけ離れた所作はしたくないので、私は楽曲のスタイルに添った「立ち上がり方」「座り方」「手の差し出し方」を振る舞いとして心がけた。
パイプ椅子は、ステージ照明で温度が変わると突然キーキーといった雑音が発生することがあるので、事前の選定が重要だ。それでもステージ上で雑音が鳴り始めると、それからの所作には神経をつかった。音が鳴り始めた時は、中腰で過ごしたステージもあった。前述したが、照明による「眼つぶし」対策・調整もリハーサルのタイミングしかない。

楽譜は、めくるタイミングの直前に、右のページの右上角を上部から左手で一枚だけつかむ。早くからここに触れると、演奏者は(まだ捲らないでよ…)と焦る。この所作が遅いと(捲る場所が解っていないのかな…)と、演奏者にはさらに焦せることになるので、奏者のお人柄と習熟度・記憶力を充分考慮に入れてタイミングを測る(努力をする)。

その右上角を上部から左手で一枚だけつかむ際、次のページがちらっと垣間見られるように三角状に折り曲げながら数瞬待機する。奏者の目と心の準備のためだ。そして演奏者がページの最後の音符まで「認識した(だろう)」と判断したタイミングで捲る。演奏者の目線をほのかに感じながらの瞬間芸だ。演奏者と呼吸を合わせる。
いきおい、楽曲のスピード感によって捲るスピード感も異なってくる。たっぷりしたスローな曲調の時には雅やかに、目もくらむほどのハイテンポな曲調の時は、瞬間突風がごとく速やかにめくる。まるで中国の「変面」のように。

このタイミングはピアニストによって、全く異なる。リハーサルと本番の状況変化が激しい演奏者もたまにいらっしゃる。

楽譜に触れるのは左手だ。私の利き手だ。右手を用いると演奏者の視界を遮ってしまうことがあるので、最初に左手を楽譜の上部を滑らせるように右角に移動させる。作品のテンポ感に添うと、その動きに違和感が少ないはずだ。
なめらかな指先さばきのために、楽器を演奏する時のように手の手入れには神経をとがらせた。バンドエイドはみっともないので、手の傷を無くし、爪を調える。
楽譜に触れるとき、左手のソデが楽譜を覆うことが時折あるので、ソデが揺れないように右手をちょっとソデに添えることもある。指先がカサカサに乾燥すると、紙1枚がつまめない時があるので、そのような環境に出くわした際は、小さなタオルハンカチを湿らせ、ズボンの左側ポケットに忍ばせる。

めくると直ちに続きの楽譜を見ねばならない。振り返って椅子を確認していると、譜面を見落とすことがある。そこで視覚に頼らず後方の椅子に着席できるよう、足さばきと歩幅をリハーサルで確認しておくと安心だ。セッティングが狂うとリハーサルの調整が台無しになるので、舞台監督に椅子の位置と角度をステージ上に印をつけておいてもらう。舞台監督やスタッフがいない時は、黒のマイビニールテープで、十字やL字をステージに貼り込む。

「楽譜を目で追う」といっても、フメクリストとしての私は、楽譜の音符すべてを目で追っていたわけではない。すべての音符を辿ると見失うし、まず不可能なことだ。その危険を回避する得策は、低音部分に注目することだ。ピアノでいう左手が担当する低い音域の声部を追うことは、音楽を基底と外枠から捉えられ、どんな複雑な楽譜と対峙しても怖さは減少する。実験的要素の強い「現代音楽」は、時にしてこの原則は当てはまらない。

私にとってこのフメクリスト体験は、どれほど貴重な音楽経験だっただろう。先輩アーティストの側で、同じ楽譜を見ながら藝術創造の現場に立ち会えるのだ。ピアニストさんたちの企業秘密、アンサンブルの妙味、旅先での出逢いからコンサート終了までの秘策等々、多くのことを学ばせて頂いた。なによりも、数多くの作品を知ることができたし、読譜力や記憶力に役だった。楽譜への書き込み方法や記号、アナリーゼ(楽曲分析)のメモなどはずいぶん写させて頂いた。プリントミスの訂正箇所もありがたかった。楽譜入手が困難な珍しい作品は、リハーサルからコンサート本番までのあいだに複写したり写譜をさせてもらった。

フメクリスト=ページターナーの任務は、しばしば楽譜をめくる作業だけに留まらなかった。黒子として、要請された譜めくり以外のお役も、条件が許す限り私は快く引き受けた。

演奏者がステージに登場し、演奏直前に「(老)眼鏡を楽屋忘れた。取ってきて」「弱音器(ミュート)を忘れた。ケースの中だ。今すぐいるんだ」「楽譜を間違って持ってきた。トランクにあるから」と私が楽屋に駈け戻り、捜し物をすることもあった。アーティストによっては、私が絃楽器奏者だと知ると、本番前の舞台ソデで自身の楽器を私に託し、ヘアーやカツラを入念にチェックしていた人、タバコを一服する人もいた。
コンサート前や終演翌日に、散髪屋や美容院、時には観光や歌舞伎座に出かけたことも佳き想い出だ。

フランス映画「譜めくりの女」(邦題、二〇〇六年)を観た。憬れと嫉妬、報復を描いた映画だ。主人公は憎悪と復讐心を押し殺して、華やかに演奏活動を繰り広げるピアニストに近づく。やがて信頼されて、彼女から譜めくりを依頼される。

観終わって、私は能を鑑賞した時とよく似た印象を抱いていることに気づいた。主人公の女性の表情がまるで能面のようであり、着々と進行する報復作戦はその表情とは裏腹に、着々とテンションを上げてゆく。無音の映像が緊張感をもたらし、俳優の動作には自然でいてかつ考えさせられる間がある。不思議な感触が漂う映画として印象に残った。

それからしばらくして、私は脚本も書いたドゥニ・デルクール監督のインタビューを読んだ。その印象の謎が解けた。

監督が日本に滞在し、日本の伝統芸能に接したり、脚本を日本で書いたことが述べられていた。また監督は「花伝書」にも触れ、間に興味を持ったという。
能楽の舞台は、時と音という見えない世界と、表情の変化のないお面がまみえる。想像力を最大限駆使しながらのめり込んでいると、能楽師たちの集中力と緊迫感が客席まで届いてくる。
見所では、持参の謡本がサラサラッという紙擦れ音と共に捲られる。目で追っている多くの人たちがほぼ同時に捲られる。

とりわけ私がその存在感を意識したのが、舞台の左手奥に位置する後見方だった。

能を鑑賞し始めた学生の頃、私は後見方を歌舞伎でいう黒子の役割だと思っていた。(これなら私にもできるかも)と、私は将来性と展望の薄い日本の西洋音楽楽壇からの住み替えを密かに計画した。通の観客に倣い、和綴じの謡本を書店で求め通人をめざした。滑稽ながらも、まずは形から入ったのだ。

謡本が手もとに六作くらい蓄積した折、大蔵流の家元で育った高校教諭Kさんに出逢った。Kさんは対話の中で、能に関する私の無知をつまびらかにしてくれた。大阪弁でいうところの「ボロッカスに言われた」のだ。

後見という役は、舞台進行を舞台上で見届けるだけではなく、装束の手直しや小道具の受け渡しなどの舞台進行もつかさどる。そればかりか、舞台人のとっさのハプニングに対応し、代役すら受け持つ。私はこれらを知って、能の舞台へかける意気込みと精神に圧倒された。生まれ育っている地に、それだけの文化が根付いていることをはっきりと認識させらされた。

Kさんは、幼い頃のお稽古の片鱗を実技指導して下さった。能が歩行舞踏であることから、頭上に皿を置いてすり足歩行をお稽古した。また世阿弥の「離見の見」「我見」の概念を丁寧に話して下さった。Kさんの優しく厳しい謡のような口調は、いつも彼のお腹から朗々と響いてきた。同時に彼の頬もブルブルッと波打っていた。

華やかな役回りと、それを支える黒子の存在。陽と陰の間合いとつながりのうちに、舞台はまわる。

フメクリストは、時間と歴史をめくる藝術家でありたい。
そして、フメクリスト左手利きの天職かもしれない。

松野 迅 JIN MATSUNO