《エッセイ》
35年間に、79回も引っ越しした男がいる。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)がその人だ。職業として演奏や作曲・指揮をして生活を営んでいた。
彼は23歳の時に生地ボンからウィーンに移り住み、ウィーンの中でめまぐるしく転居を繰り返した。数軒を同時に借りていたこともあったというから、ただごとではない。
転居の際、ピアノの移動はどうしたのだろう、引っ越し業者はいたのだろうか・・・と心配し始めると安眠できなくなりそうなのでやめよう。
もしタイムマシーンでベートーヴェンに会いにゆくことができて、現代のものをひとつだけ持参できるとすれば、何を持ってゆこう。引っ越し用段ボールだろうか。「非食用」と記して。
ベートーヴェンのたび重なる転居の理由は、家主や近隣の人たちとのトラブルだったという。家主とのトラブルとは家賃の滞納だったらしい。しかし彼が神経をとがらせた他の理由は、音楽を盗まれることだった。
彼がピアノを用いて作品を練り上げるのを、窓か扉の外で聴き取り写し取っていた輩がいたのだ。おそらくテーマやメロディラインを盗み、先取り発表していたのだろう。 ベートーヴェンは知らないうちに「代作曲家」に採用されていたのだ。
このような盗作を防ぐ必要から、彼は居場所をわからなくするために転居を余儀なくされたとされている。だが、それだけではなかっただろう。身体の不調がもたらす苛立ちからの解放や、創作環境の変化を求めたともいわれる。孤独な作曲という作業にあっては、自然との触れ合いや環境の変化が発想の転換になったりもする。
ベートーヴェンは語る。
「なぜ私は作曲するか?—-〔私は名声のために作曲しようとは考えなかった〕私が心の中に持っているものが外へ出なければならないのだ。私が作曲するのはそのためである。(ゲーリングに)」(『ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン著 片山俊彦訳、岩波文庫)
頭脳に起ちおこったものを紙に記してゆく作曲行程は、文筆の世界とよく似ていると思う。双方とも部分と全体が絶えず呼応している。
作曲はことばを探すがごとく、無限の可能性の中から自身の哲学・思念に添って音を紡ぎ出してゆく。
作曲法にはいくつもの禁則が存在する。たとえば「平行五度進行を用いるな」というような和声の禁則だ。だれが決めたということではなく、様式感との整合性で求められてきた。
ただし名曲の中には禁則は少なからず散らばっている。禁則は曲に魅力を与えさえする。和声の禁則は創造の禁則ではない。禁則を守らなくとも罰則はないし、訴えられる機関も存在しない。はたまた「名テーマ」ができたからといって、特許を申請することもない。作曲は発明でも発見でもないのだ。むしろ職人仕事の趣きである。
そして、第三者が確認できる再現可能な楽譜などが存在することが作曲とされ、著作権の前提とされている。イメージや鼻歌だけでは作曲とは認識されない。
日本語の「作曲」は創作を思い起こさせる言葉なので、無から有を生みだすような印象が醸し出される。ところが作曲(コンポジション)の原語は、ラテン語のcompositioだ。組み合わせを意味する。
西洋音楽は、オクターヴのあいだに並べられた音階上の12音を素材として、それらの組み合わせで成り立っている。音を組織化する作業だ。同時に沈黙の音符(休止符)も組織化され、音楽として形成されてゆく。
2014年2月には「なりすまし作曲者」の存在が社会問題となった。演奏者と作曲者が同一人格だった18~19世紀ヨーロッパでは、考えられなかったことだろう。作る人・音を出す人の分業化は、作る人・「公表する人」・音を出す人とさらに分化していたのだ。
作曲や指揮をするためには何かしらの楽器の習得が基本である。演奏家をめざしつつ、様々な事情で指揮や作曲に方向転換した人は多い。ステージであがりやすい、腱鞘炎になった、楽器演奏に興味をなくした・・・引っ越しと同じく、そこにはもれなく理由がある。
「なりすまし作曲者」氏については、音楽の基幹を形成した楽器経験が証されないことを、音楽関係者はいぶかっていた。
すっかり忘れていたのだが、私は2012年に「作曲者」の作品を楽譜として知人から寄せられた。貴重な楽譜として示されたのだが、「これは…」と受け取りを拒否した。私はそこにマスコミに登場する「作曲者」の姿をみつけけられなかった。
苦労して手に入れた「話題作家の作品」を突っ返されたほうとしては、このやりとりを印象的に覚えておられた。「なりすまし」発覚と同時に「あの時のその理由がわかった」という連絡を頂き、ようやく私は思い出した。その作品の記憶を本能的に外していたようだ。
食品・論文・作品などの偽装事件が連続している。しかもどれもが劇場型の設えで包装されていることに共通性を感じる。「なりすまし作曲者」の問題は、受けとめる側の、つまり「心の居場所を求める人・待つ人」たちの問題でもあろう。
障がい者に心を寄せ、被爆者に想いを重ね、さらに震災や戦争の惨禍に手を合わせる、心の痛みのわかる善良な一市民にとって、「なりすまし作曲者」は時宜を得た包装紙だった。提供する側の演出に伴い、受け止める側の心理的劇場性も膨張していったのだと思う。
「作品」の内容に関して活発な論議が起ち上がらないことが、劇場型演出であったことを示唆しているが、「作品」の感動的要素は、試されずみの作曲技法だ。過去の感動的な作品のエッセンスを着込んでいる。
このような技法を、単なるコピペとして切り捨てることはできない。作品は模倣を繰り返して伝達されてきたのだ。淘汰されるかの判断は聴衆の手にある。
ただ、「彼らの」代表作品には、アクセサリーのようにトリトヌス(三全音)と、そこから開放される救いの解決音が編み込まれている。トリトヌスとは、禁則として主格に位置づけられている音程間隔である。
音階「ドレミファソラシド」の各々の間隔には、全音と半音がある。ド(全)レ(全)ミ(半)ファ(全)ソ(全)ラ(全)シ(半)ドとなる。そのうち全音+全音+全音と全音を3回重ねた音程がトリトヌスとなる。ピアノの鍵盤上では、ファとシの関係、あるいはドの音に対してファのシャープの関係がわかりやすいだろう。楽典では増四度(減五度)とされる。
これを「服用」「複用」することで、苦悩を噛みしめ不安や罪の意識に心揺さぶられる作用が発生する。効果と副作用は人によりさまざまだが、艱難辛苦のドラマが内心にできあがるのだ。中世ヨーロッパでは、トリトヌスは罪や死、恐怖を連想させるとして、「悪魔の音程」と呼ばれ忌み嫌われた。
バッハやリストらが表現のひとつとしてトリトヌス効果を瞬間的に使用している例はあるが、多用・連続されることはないので、耳には馴染みが薄い。 それだけに、新鮮な恐怖感と救済、そして劇場型物語がワンプレートとして提供されると、「感動」を渇望する人心にひそむスイッチが反応する。
そこには歌詞を伴わない抽象音楽に物語性を求めよう、という自然な欲望も加わったことだろう。
震災と津波の大きな傷跡や原子力発電所にかかわる放射能への不安とストレス、そこに作曲という非日常世界への憧憬、「第九交響曲」と直結した苦悩と歓喜のベートーヴェン像が映り込んだのだ。それだけに、ひととき心の引っ越しを果たした人は「なりすまし作曲者」にどれほど落胆したことだろう。 作曲法の禁則破りで練られた罪の効果よりも、社会的禁則破りは、はるかに罪が深い。
長く邦訳にお目にかかれなかったヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の喜劇『大コフタ』(森淑仁訳、鷗出版)を、私は2013年にようやく接することができた。幾種類もの詐術を駆使してヨーロッパ各地を歩いたアレッサンドロ・ディ・カリオストロ伯爵(1743-1795)が描かれている。
【伯爵】 最も聡明な者は、誰だ?
《聖堂参事》 出会うもの以外のいかなるものも知らないし、知ろうとしない者です。
【伯爵】 最も賢い者は、誰だ?
《聖堂参事》 出会う者すべてに、自己の利益を見出す者です。
〔騎士〕 立ち退かしてください! このような語らいを聞いていることは、私にはできません、耐えられません。
ゲーテは怒りを秘めながら、淡々と逆説的会話を綴る。
詐術の大家カリオストロ伯爵の存在は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)の歌芝居「魔笛」(台本/シカネーダー)に登場する神官ザラストロのモデルとして、そして現代ではルパン・シリーズに登場している。ゲーテは「ファウスト」のメフィストフェレスに、悪魔として伯爵のイデアを転化している。
伯爵はさまざまな役どころに引っ越しして、現代もさまよっている。
ほら、ここにも。^o^✏️