けざやかな景色

《エッセイ》

“そなたの心はけざやかな景色のようだ”

堀口大學訳によるヴェルレーヌの詩「月の光」の冒頭だ。
このポール・ヴェルレーヌ(1844~1896)の詩にメロディを乗せ、歌曲としたのは作曲家のガブリエル・フォーレ(1845~1924)だった。短くはないピアノによる前奏はそれが歌曲であることを数瞬忘れさせる。
やはりこの詩からインスピレーションを受けてピアノ作品を残したのは、作曲家クロード・ドビュッシー(1862~1918)だ。
2012年はドビュッシー生誕150年、2018年は没後100年にあたる。
近代音楽は彼が幕を開けたといわれるが、その意味はどこにあるのだろう。

バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスという連綿とした音楽の流れは、ドイツ語圏から湧き出でてきた。彼らの作品には、機能和声、対位法、ソナタ形式などの論理的で自然の摂理にも合致する合理性が含まれている。藝術の金字塔が幾多も打ち立てられた流れでもある。イタリアとフランスから発信された藝術も、決して勝るとも劣らない。

「ハ長調」や「ト短調」など長短の調性感に縁取れたその時代をさかのぼると、調性を生み出す以前の中世の教会旋法にたどり着く。
ドビュッシーは、中世的旋法を積極的に活用した。そうするとハーモニーもおのずと革新的な領域に踏み込まざるをえなかった。主音を軸とする感性から一歩踏み出し、独自の音律を編み出した。

ドビュッシーが学生だった頃の教員との会話がモーリス・エンマニュエル(1862-1938)著『ペレアスとメリザンド』に残されている。

教員「君は、不協和音は協和音に解決しなくとも良いという主張だね?
それでは、君のモノサシはいったんなんだね?」

ドビュッシー「それは、わたくしの喜びです!」

教員「では、不協和音からどのような喜びが見いだせるというのだね?」

ドビュッシー「今日の不協和音は、明日の協和音ですよ!」

ドビュッシーは片手で過去の中世的な扉を開き、もう一方の片手で新しい音楽世界を創造した。300年の歳月を俯瞰した彼の音楽は、調性を放棄せず、新たな自由性を持つものとして案出された。そこに着目して作品に接すると、彼の視点が未来を見据えた革新的なものでことがわかる。
とはいっても、彼の芸術性にはなかなか近づけないのである。✏️