《音楽生活50周年》
そろそろ やめてもいいですか?
1968年4月の火曜日の午後、ヴァイオリンと共に過ごす人生が始まりました。それまで見たこともなかったヴァイオリンという楽器と向き合い、最初に音を出した瞬間を、私は鮮明に思い出すことができます。
楽器や松ヤニの香り、鎖骨から全身に拡がる音の波動、絃を触る指先の感覚……。8歳の春のことでした。
このようにして始まる〈自分史〉は、往々にして苦労話や自慢話へと展開しがちです。よって本篇は、2分で読み切れる〈ひかえめな50年史〉をめざします。
私が50年間〈楽器と共に歩む人生〉を過ごしてこられた背景には、3つの「はしら」があります。
ひとつめは、両親の考えでしょう。それは「不羈独立(ふきどくりつ)」です。「何ものにも縛られたり制約を受けず、また何ものの援助や助けも受けずに独力で道を切り開いて行こうとすること」と辞書にあります。よって、私はコンクールのコンテスタントになることもなく、音楽が〔競い〕の場にさらされる環境とは無縁に過ごせました。これは何よりの宝物です。自己との闘いのみです。
そして、私が50年間楽器を手にしてこられたのは、「社会のはしら」です。それは【日本国憲法第九条】です。
このように記すと、大げさなことと思われるかもしれませんが、決してそうではないのです。【第九条】の「不戦の誓い」は兵役の道を開かず、国家に人生のスケジュールを左右させれらることはありません。
私は兵役のあるアジア諸国で、数多くの男子学生の進路について直面してきました。とりわけ凝縮した実技習得が必要な器楽の世界は、少年期から青年期における日々の積み重ねが大切です。その期間の中断は、職業音楽家への道を将来の選択肢から削らざるを得ないのです。
日本に生まれ、【日本国憲法】を享受できることのすばらしさを、この50年間を通じて実感しています。同時に憲法を護り育ててこられた人々に感謝の念を抱いています。そして、これを未来につなげる責任を強く感じます。
3つめの「はしら」は〔松野迅後援会〕の存在です。個人的なファンクラブのようなネーミングですが、リスナーとパフォーマーの位置関係を超え、共に藝術文化の進展と拡がりに協働する有機的な人間集団だと思います。先例や模倣するものはなく常に模索の連続ですが、35年の歩みは友愛の波紋を世界各地へと拡げてきました。
これら3つの「はしら」は、音楽の3要素=リズム・メロディ・ハーモーのように交錯しながら、私の中で生きています。
おそらく、これからもずっと。。。。。。
おっと、2分が経過しました。
そろそろ やめてもいいですか? ^^ ✏️