ノートルダム寺院の炎上に想う

2019年4月15日。パソコンを起ち上げると、炎に包まれた映像が目に飛び込んできました。驚きつつ見るとそれは、美しい薔薇(バラ)窓で知られるパリのノートルダム寺院でした。
天空まで立ち昇る炎で、歴史に培われたたたずまいがどんどん崩されてゆきます。燃えさかる大聖堂を見ながら、私はある年の秋、部屋の窓からノートルダム寺院を眺められる小さなホテルに連泊していたことを思い返しました。 

毎朝、世界中から訪れる観光客を乗せたバスがホテルの目の前に停車し、さまざまな言語が飛び交う声が朝食のBGMでした。ホテルの窓から見ていた大聖堂と現実の火災とが結びつかず、私は思わず目を閉じてしまいました。このエッセイを公開する2019年7月25日、パリの知人から「まだ現場はこげたにおいがするよ」との報せが届きました。

●西洋音楽とハーモニー
私たちが日常的に接する「西洋音楽」は、ヨーロッパで培われてきた音楽芸術を示し、とりわけJ.S.バッハらが活躍していたバロック時代から現代までを学習のかなめとしています。出発地点には「ハーモニー」が座っています。
そのハーモニー(和声・加声)は、〈ド・ミ・ソ〉、〈ド・ファ・ラ〉、〈シ・レ・ソ〉といった〔美しい響き〕を前提としています。
しかし、そこへ到達した歴史的過程を学習する機会はほとんどありません。その変遷を学んでこそ、〔美しい響き〕の意味が鮮明になってきます。ノートルダム寺院は、実はその変遷を歩んだ重要な建造物なのです。

●響きが消えた!?
ノートルダム寺院がまだ大聖堂を持たなかった頃、聖堂は窓のない石室で、響きすぎるほど声が響いたといいます。そこでは聖職者によって、グレゴリオ聖歌が美しく歌われていました。
大聖堂の建築は1163年に始まり、修道院の一部だったもとの聖堂を包み込むようにして作られました。1180年に高さ30メートルのゴシック様式の大伽藍ができあがり、高さ12メートルの石室が分解された時、ハプニングがおこりました。 
あの響きが消えたのです! 

●ノートルダム楽派
聖堂の響きを取り戻すべく、聖職者たちの議論と試行錯誤が始まります。
ゴシック様式はもともとイスラム世界のものですから、そのことへの批判や、神からの試練と捉える聖職者まで、おそらく喧々諤々(けんけんがくがく)の論争が繰り広げられたことでしょう。
さまざまな歌い方やハーモニーが試され、少しでも良い響きが見つかった時は、「神の恩寵が示された」として記録されてゆきました。この記録作業が「記譜法」変遷の歴史を塗り替えてゆくことになります。
グレゴリオ聖歌は本来、五度音程や四度音程が基本となり、その響きがもっとも美しいとされてきました。ヴァイオリンなどの弦楽器が五度音程感覚で調弦するのは、このことと決して無縁ではありません。
ノートルダム寺院の聖職者たちは、大聖堂が完成されてゆく過程で「より響きあう」音楽として、多声音楽を編み出してゆきます。ポリフォニー音楽の原点です。そして音程として見つけ出したのが、「三度音程」でした。ド・ミ・ソの「ミ」が登場したのです。「行進歌(conductus)」として残っています。
おそらく音程のズレなどから生じた偶然のたまものだったと思われますが、ノートルダム寺院の増築がもたらした画期的な「発見」となりました。

この音程感覚が登場したことから、三度音程を含むハーモニーの概念は「西洋音楽の核」として拡がってゆきます。
西洋音楽の歴史を改革したノートルダム寺院約100年間の歩みと聖職者たちを、音楽史では「ノートルダム楽派」と呼んでいます。

●炎上で失われたもの
響きの模索はハーモニーの工夫以外にも、大聖堂建築の過程と関係しています。11世~12世紀の職人さんたちは、聖職者たちの要望に応えるため、建築家として試行錯誤を繰り返したことでしょう。「三度音程」の発見に至った秘密は、建築の中にも隠されているはずです。
それらの「仕事」の成果は、建築資材の裏側など表面から見えないところにつけられた「しるし」や「メモ」などのかたちで存在していたと想定されていたため、近々、詳細な学術調査が予定されていたところでした。
この度の火災でそれら歴史的な「一級の第一次証拠」が焼失したことで、人類の歩みがほぼ検証できなくなってしまいました。
現代の技術を持ってすれば表面的な「復元」は可能でしょうが、歴史的資料価値までは再現できないことを考えると、まことに残念でなりません。✏️