夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで~ゴルトベルク変奏曲~

今は昔。
昔話を書くことは、立派な老化現象だと認識している。
つれづれなるままに、プライヴェート版「ゴルトベルク人生」を綴らせていただくが、どうぞ興味のある方のみおつきあいを。

私は子(ね)年生まれ。ネといっても猫ではなく、猫に追われるねずみの方だ。
小学6年生(12歳)の時、私は初の「ゴルトベルク体験」をした。
その頃私には、放課後になると毎日のように訪問していた部屋があった。
英文学者の蜂谷昭雄さん(1930-1986)が部屋の主(あるじ)だ。LPレコードや書籍がその壁や床一面にギッシリと鎮座していた。
チューターの蜂谷先生から、早口の楽曲解説をきく。〔バロックとは、いびつな形の真珠や宝石のこと〕〔この変奏曲は夜が眠れない伯爵さんが聴いて楽しんでいたそうだよ〕と教えを受け、やをら楽譜を眺めながら鑑賞のスタートだ。

はじめて接した「ゴルトベルク変奏曲」は、私の脳内で炎が炸裂した。銀河に飛び出したような心持ちだった。その「初耳体験」は、ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)がチェンバロを奏するLPレコードだった。
彼女はト短調で書かれた第25変奏を、「黒い真珠」と称している。私はこの意味をずっと考え続けている。
夜も眠らず昼寝しながら。

時はめぐり干支は3回転し、「眠れない世代」へ成長した48歳。
予定されていたかのように、「ゴルトベルク」は私の生活空間へ舞い降りてきた。一緒に音楽学習をしていた高校生が、「ピアノで〈ゴルトベルク変奏曲〉を弾きたい」と楽譜を開いたのだ。その時私は、あえて冷静を保った。

「バッハはすべての変奏を順序良く演奏するために書いたのかなぁ?」
「変奏数を30にしたのはどうして?」
「なぜ後半の始まりに『序曲』がくるの?」
「『アリア』の低音は、すでに『アリア』の中で〔変奏〕されている?」
「音を逆から弾くとおもしろい」・・・
若い脳が問う疑問を咀嚼するには、「真夜中のゴルトベルク」が手をかしてくれた。幾度聴いても毎回異なった散歩道に佇み、眠気は迫ってこない。そう、私はバッハ・マジックにはまってしまったのだ。

変奏曲様式は、作曲技法上和声進行を変化させずに展開するので、自ずと已己巳己(いこみき)*になりがちだ。バッハが自発的に変奏曲を書かなかった理由を、私はここにみている。
伯爵から要請を受け、変奏曲に取り組んだバッハの「いきごみ」は汲めども尽きない。【バッハの集大成】ともいえるこの作品は「なぞかけと仕掛けの密林」ともいえるだろう。
*已己巳己(いこみき)・・・3つの漢字が似ているところから、よく似通よることの四文字熟語。

音符・休符の分析は数字との交流となり、しばらくすると社会や歴史が浮かび上がる。思考を続けると、哲学の領域にいざなわれ、やがてためらいもなく居場所が宇宙へと転換する。
「細部は全体のためにあり、全体は細部によって生かされる」といわれるが、テーマが全体の統一感を形成し、そこに変奏という多様性が繰り広げられるそのバランスと一体感に感嘆するばかりだ。
バッハは対比(対位法)をちりばめ、変化・変容の妙味を展開する。
時おり、極めつけの職人芸が登場し、瞠目しているうちに夜は明けはじめる。
しからば、演奏する立場となれば、即興性の観点から、決めてはならぬことを決めねばならない。
そのココロは、「猫も寝てはならぬ」。✏️